銀輪文学劇場 序及び第一回「中納言ゆきてる卿金縛りに遭ひ給へる事」

 初代殿のたまわく、「タクアンは文学の作品を成せ」と。

 既に一線を退いた身である故、著作を成すのは出来れば後輩諸賢に任せてしまいたいものであるが、仮にも初代部長と崇拝されし拾い絵君の請求であるので、後継者が現れるまでの当面の間は老醜を晒しておくことにする。

 

 ところで、そもそも文学とは何ぞや?

 普通に考えれば、文学とは言語を介して表現される芸術全般のことであろう。詩文、散文、演劇脚本等がこれに当たろうか。

 これらが芸術として人口に膾炙するためには何が必要か。思うにそれは共感されることである。文学作品が受容される為には、送り手と受け手の間に共通の認識が成り立っていることが必要となる。

 絵画や音楽などは送り手が表現したいものを直接形にして受け手に届けることが出来る。だから送受両者の間の知識認識は乖離していて構わない。厳然としてそこにある作品を鑑賞してもらえばいいのである。

 それに対して、文学作品は送り手が表現したい情景感情を一度言語に変換し、さらに受け手がその言語表現から風景情動を再構成する、という手続きが必要になる。この性質の為に、送り手と受け手の認識に差があると、送り手の表現したいものは十全には伝わらない事になる。

 例えば、直喩表現などはこの最たるものである。「私の部屋の本棚から、豚の内臓が腐ったような臭いがする」という文があるとして、これがどのような臭いであるか十全に理解出来るのは、当然のことながら豚の内臓が腐った臭いをかいだ事のある人間だけである。そうでない人には「よく解らないけれど臭いんだろうな」くらいの認識しかされない。

 従って、文学作品を成そうと思ったらまずは受け手を想定し、その受け手が飲みこめるであろう語彙だけで文章を構成しなければならないのである。

 もし強いて難解な表現を使おうと思ったら、それの理解を助ける文を作品内に挿入しなければならない。先の本棚の匂いの例で言うならば、千言万語を費やして腐った豚の内臓の匂いが如何におぞましく狂おしいかを解説しなければならないのである。ただ、そうして完成するのはおそらく豚の内臓の腐敗とその発する臭気に関しての論文であり、文学作品とは言い難い文章になることであろう。

 表現には奇を衒い過ぎないのが無難である。

 

 それでは、誰を受け手と想定するべきか。手っ取り早いのは自分と同じような知識価値観を有する人間である。これを相手にすれば自分の書きたいように書いていいのだから楽である。

 ただ、勿論そんな受け手はそうそういない。他人は自分ではないのだ。そうであるから少し距離を置いた受け手を想定する。つまり同じ世間、同じ社会、同じ時代の人間である。今を生きる同世代を想定すればよい。

 こうして表現者が表現先を自分の周囲に限定すると、ある時代のある社会で成立する文学作品は、共通点が多いものになる。これによって「国風文学」「王朝文学」「イギリス文学」「ロシア文学」などという分類が可能になるのである。

 

 さて、今一度初代殿の請求に立ち返ってみると、彼の言はクラブホームページ上で為されたものである。であるから、彼の言う「文学」は、このクラブの部員を対象として想定した、「銀輪文学」とでもいうべきものであろうという推定が成り立つ。

 私はこのクラブの部員が受け入れてくれる作品を書かなければならない。

 

 そう考えると、その作品の登場人物は部員、もしくは部員に近しい人間であるべきであるし、舞台や時代もそれに準じて考えるべきである。

 という事は、手っ取り早いのは部員が他の部員に語った経験談、つまり世間話を纏めることである。世間話を語り継いでいくことにより、その世間話は洗練されて形式が整い、立派に文学の風格を備えることになるであろう。いわゆる口承文学である。

 無から有を生み出すわけでなく、既にあるものを整理するだけである。なんと楽な事であろうか。

 

 そもそも私はかつて民俗学部門の部門長だったのだから、クラブの文学を建てるにはこの口承文学の形が最も性にあっていると言える。

 とは言え、人間は忘れる生き物である。口承文学は語る人がいなくなれば即座に忘れられてしまうのである。まさか私がいつまでもクラブに居座って語り続けるわけにはいかないし、民俗学部門で伝承していこうにも我が部門は既に風前の灯火のごとし。部員の珠玉の世間話は磨滅してしまう事は必至である。

 これを防ぐために、私は邪道とは承知しながらも口承をこのブログに筆記記録しておこうと思う。後の世の物好きな誰某かが掘り起こしてくれる事を祈り、何となくそれっぽい調子を整えて世間話を記録しておこうと思うのである。

 

 そんなわけで第一回、「中納言ゆきてる卿金縛りに遭ひ給へる事」。主人公が中納言なので、文語調で参る。

 

 ――今は昔、四位長老中納言ゆきてる卿、尾張国の生家におはしましき。

 或る夏の夜、中納言大殿籠らせ給ふに、褥にありて寝いたはしかりてうたむにとしたりき。現夢境を分かたず輾転反側す。

 不意に金縛りあり、身動かずなりき。四肢指先上がらず、胴躯寝返りをもうたれず。ただ瞼のみ意のままになれり。中納言、薄眼を開け給ふ。

 

 閨の薄闇の内に女人の影あり。中納言の顔を窺ふ。

 

 中納言大いに慄き、悲鳴をぞ上げんとす。声出でず、ただ震える息のみ虚しく洩る。影、中納言の側に寄り来たり。中納言いよいよ身儚くなりつるかとぞ諦め給へり。

 不意に金縛り解けたり。中納言跳ね起き給ふ。改めて見給へば、怪しき女人の影と覚えしは中納言の母堂にてありき。

 後に中納言人にこれを語りて曰く、我が母なりと知らば恐るることなかりきに、と。

 

 

 十薬庵今改めてこれを案ずるに、二カ条の不審あり。

 一に曰く、中納言の閨に居給へたるが卿の母堂なれば、いかなる故を以てか中納言金縛りに遭い給へる。

 二に曰く、何の由を以て中納言が母堂は夜半に卿の寝顔を窺ひ給ふ。

 敢えて問う。かの夜に中納言の寝顔を窺ひつるは、真に卿の母堂なりや?

 

 

十薬庵

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コメント: 3
  • #1

    hiroea (火曜日, 06 5月 2014 01:37)

    ゲーム第一弾はホラーになりそうですね

  • #2

    砂時計 (金曜日, 09 5月 2014 18:13)

    大変勉強になりました。

    これからの中納言殿の活躍に期待ですね。

  • #3

    tutaj (土曜日, 04 11月 2017 00:06)

    nieoplecenie